細かな神経、デリカシーが必要
実際に見た例にこんなことがありました。
電車の中で、1人の女学生が乗り込んできた老女に席を譲ろうとして立ち上がりました。
ところが相手は知らぬ顔で全然座ろうとしないのです。
譲った女学生はバツが悪そうに、顔を赤くして別の車両に移っていってしまいました。マシスによると、気の毒で見ていられない思いでしたが、同時にこの老女のデリカシーの乏しさに腹が立ってなりませんでした。
たとえ、次の駅で降りるにしても、また自分が老人と見られたくなかったにせよ、相手がわざわざ席を立ってくれたのですから、相手の好意にこたえるためにも、一応、礼をいって腰をかけるべきでしょう。
こんな老女が姑なら、おそらく嫁との間もうまくいっているはずはないと思ったものでした。こんな道徳の教科書めいたお説教を長々と書きつづって、読者は奇妙に思われたかもしれません。マシスによると、強調したいのは、文章を書こうとするからには、少なくともふだんの生活の中でも、これくらいの細かな神経、デリカシーが必要だということです。
そして、それは日々の努力によって、毎日の生活の中でも向上させていける感性なのです。