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      <title>トラベルっちょ♪</title>
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      <description>海外旅行に役立つかもしれないブログ</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>占いで基本的性格を知ろう</title>
         <description><![CDATA[
毒を含む三つの星（二黒土星、五黄土星、八白土星)の中で、いちばん力のある星が五黄土星です。

同じ『土』でも、穀物や樹木に養分を与えて育て上げる肥沃な土壌といったところでしょうか。

しかも、さまざまな物を中へ取り込んで腐食させ、自らの肥やしにしてしまう、したたかな面ももっていますから、気性の強さではいちばんといえます。

したがって、性格的には姐御肌で、義理人情に厚い人が多いといえます。

そのうえ正義感にあふれ、不正に対しては真剣に怒ります。

ときには自分を犠牲にしてまでも、それを正そうとするのです。

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         <pubDate>Sat, 10 Mar 2012 12:33:54 +0900</pubDate>
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         <title>サッカー人気の高まり</title>
         <description><![CDATA[
ピューリタンの批判にもかかわらず、フットボールは相変わらず行なわれ続けました。


・・・ピューリタンの厳しい批判をもってしても、フットボールを楽しみたいという人びとの気持ちを抑えることはできなかった、ということです。


17世紀にイングランドから移住したピューリタンによって築かれた北アメリカの植民地は、ピューリタン主義が支配する土地でした。


その北アメリカの植民地ですら、フットボールを追放することはできなかったという事実がありました。


何しろ、ピューリタン革命の指導者であり、共和制時代には護国卿として最高権力者であったオリヴァー・クロムウェルですら、ケンブリッジ大学で学んでいたころには、学業よりもフットボールに熱心な若者だったのですから・・・


宗教的な理由を掲げてフットボールを止めさせようとするのは、どだい無理だったということかもしれませんね。


<a href="http://www.alma-japan.com/" target="_blank">サッカーユニフォーム</a>の数の多さからも分かるように、現代においてもサッカーへの人気は衰えることがありません。


クロムウェルに指導されたピューリタン革命が結局は勢いを失い、1660年に王政復古がなると、ピューリタンの影響力は弱まっていきました。


それに代わってフットボールを批判したのは、社会改良家たちでした。


彼らは、騒々しく乱暴なフットボールは近代的な社会の発達や物質的な進歩の妨げになるといって批判したのです。


フットボールを時代遅れのものと見なす、このような社会改良家の批判と、治安の維持を重視する当局者の思惑とが結びついて、19世紀になるとフットボールに対する当局や官憲の弾圧が強まったのです。



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         <pubDate>Mon, 05 Dec 2011 14:10:37 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>占星術を信じる理由</title>
         <description><![CDATA[
明らかに進んで信じることが決定的な要因です。


多くの研究は、進んで信じることがどのように活用されるのかを示しています。


ルウィーズ・オンムウェイクのよく知られた研究は、学生旨分の「テモア感」を評定させた。


90%以上の者が「平均以上」であると主張した。


われわれ自身の研究の一つで、われわれは、69の言葉の中から、自分のことをもっともよく言いあらわしているものを選ばせ、最も多く覆れた言葉には、「敏感な」、「感情的」、「自由を好む」、「活動的」、「実際的」、「快活な」がありました。


だれからもほとんど選ばれなかった特性語には、「ずうずうしい」、「落ち着きがない」、「同情心のある」がありました。


明らかに、ほとんどすべての人が自分に当てはまるとみなしている特性があります。


もし、それらの特性をほとんど全部含んだ性格検査が作成されると、ほとんどの人が、それを自分に当てはまると思うでしょう。


＞＞<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話占いならココ</a>

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         <link>http://sgcf.net/2011/09/post_14.html</link>
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         <pubDate>Sat, 17 Sep 2011 13:06:17 +0900</pubDate>
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         <title>映画はプロジェクターで観たい</title>
         <description><![CDATA[『トイレの花子さん』という映画をご覧になったことがありますか？


小学生の都市伝説として広まった怪談ブームを受けて製作され、東宝の『学校の怪談』と同時期の公開となり、競作みたいな形になりました。


SFXに凝ったエンターテイメント性の強い『学校の怪談』に比べて、いじめの問題など子供たちの心理を中心に描こうとしたのが松竹らしいところでしょうか。


この映画をこの間、<a href="http://www.rental-station.jp/" target="_blank">プロジェクター レンタル</a>で観たのです。


小学生の怪談ブームの頃、東宝の『学校の怪談』に対して、松竹ではこの『トイレの花子さん』が作られました。


前者はファンタジー・タッチのミステリー。


そして、本作はサイコな幼女連続殺人犯が登場するような物語です。


同じブームを当て込んで制作しても、映画会社によってこうも違うものか・・・。


後者はかなり気色悪いです。


神戸の事件の後ならば間違いなくカットされていたであろう、ヤギの生首をカマで切り飛ばすシーンや、『シャイニング』調の殺人犯。


東宝側は元気でハツラツとした女の先生なのですが、松竹は職員室でお色気を充満させる大塚寧々。


無意味に安堵感を提供する野村宏伸に対しては、無根拠に不安感を漂わせる豊川悦司。


『ドラえもん』と『死霊のはらわた』くらいの違いがあります。


この件について、双方の作品のファンであるという、ロリコンの知人に意見を求めたところ、「どうでもいい」とつれない答え・・・。


わたしとしては後半部分の小学生同士のキスシーンに一番重たい雰囲気を感じたのですが、なんだかドンヨリと暗い子供用映画でした。

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         <link>http://sgcf.net/2011/06/post_13.html</link>
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         <pubDate>Thu, 30 Jun 2011 13:04:42 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>本当は40分だけ</title>
         <description><![CDATA[アメリカの研究者フランケルは、18人の慢性不眠症患者に五夜連続して検査室にきてもらい眠りを調べました。

患者群に年齢と性とを一致させて、比較対照のために正常人18人のグループも同時に調べました。

毎朝みなに寝入るまでどれだけかかったか、どれだけの時問を眠りに費やしたかをたずねました。

結果は大変明快でした。

正常人は<a href="http://www.bederabi.com/" target="_blank">フランスベッド</a>で寝入るまでの時間を平均してかなり正確に測っていたのに対し、慢性不眠症患者は27分も多めに見積もっていたのでした。

同じように、不眠症患者群はほんとうに眠っていた時間をきっちり半時間だけ少なめに見積もりました。

いっぽう正常人群は、全睡眠時間を平均して半時間同様に間違えましたけれども、こちらは楽観的なほうに間違えたのです――つまり実際に眠った睡眠量を多めに見積もったのです！

客観的な評価による事実として、不眠症患者群は、正常人より平均しで40分だけすくなく眠ったことがわかります。]]></description>
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         <pubDate>Mon, 11 Apr 2011 16:12:04 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>栄養、おいしい、安全</title>
         <description><![CDATA[健康食品は、薬事法の規制を逃れるため、商品そのものには効能は書かず、治療法を書いた本の宣伝と一緒に販売されることが普通です。

これをバイブル商法とよんでいます。

最近では、訪問販売などのロコミと並んでインターネット経由での情報提供が盛んになっています。

医薬品は、病気の治療に用いるなど人体に影響をおよぼす化学物質のうち、有効性が証明され、副作用の危険性と有効性とのバランスがとれていることを国が審査し、製造・販売を承認したものです。

健康食品に限らず、食品は人体に影響をおよぼします。

薬品と違うところは審査と承認がないことです。

一般に成分を濃縮・単離することで作用効果は強くなります。

しかし、医薬品として承認されていないものが効能・効果をうたうことは、薬事法によって制限されています。

<a href="http://napure.jp/" target="_blank">モリンガ</a>などのサプリメントは、「食品のなかで効能を期待しているが実証されていないもの」と考えることができます。

食品に期待されていることは、栄養があり、おいしく、安全であることです。

もちろん、安価であることも期待されています。]]></description>
         <link>http://sgcf.net/2011/03/post_11.html</link>
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         <pubDate>Tue, 08 Mar 2011 18:40:13 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>鏡を見ながら</title>
         <description><![CDATA[子音の発音
子音を知るためには、母音の時のように口の動きを鏡で観察します。

最初、まん中の指3本をのどに当てながら、ア・イ・ウ・エ・オと5つの母音を発音し、続いて、カ・キ・ク・ケ・コを発音しましょう。

鏡で見ると、どちらも口の動きは似ています。

それだけではありません。

3本の指を通して伝わってくる声帯の振動も同じように感じられます。

<a href="http://www.espritline.co.jp/bs/" target="_blank">石川遼　英語</a>もちゃんと英語を話せていて、ちゃんと通じていますよね。

しかし耳に伝わってくる音は、アとカ、イとキというふうに、はっきり違います。

アとカの違いは手のひらでも感じることができます。

片方の手のひらを口のすぐ近くで開いて、「ア・カ」「イ・キ」というふうに対にして発音しながら、手のひらを打つ息の強さや打ち方の違いを調べてみましょう。

ア・イ・ウ・エ・オの場合は息が自然に流れて来ます。

しかし、カ・キ・ク・ケ・コの場合は、音の初めに息の流れが瞬問的に止まり、続いてパッパッと圧力を加えた息の流れが手のひらに感じられます。]]></description>
         <link>http://sgcf.net/2011/02/post_12.html</link>
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         <pubDate>Mon, 28 Feb 2011 16:25:02 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>ゴッホの生きた人生　8</title>
         <description>「ことに人物の素描は間接的に風景の素描に好ましい影響を与えてくれるのでいいものだよ。


頭を刈り込んだ1本の柳をあたかも1個の生きもののように描こうとするとき、


・・・実際、生きものに違いないのだが、その樹に注意力を全部集中して、その樹が生きてくるようになるまでやり続ければ、その周囲の事物はおのずから出来あがってゆくものだ」。


これらのことばからは、ゴッホが、おのれが辿りつつある道に関して、次第に確信を深めている様子がうかがわれます。


そればかりではなく、これらのことばは、この当時のゴッホのデッサンの、不器用で荒々しい手つきで対象の核心を一挙につかんだ、そのくせ一種独特の繊細さをそなえた特質をおのずから示していて、いかにも興味深いのです。


一家の者たちは、こういうゴッホの姿を見て、ほっとしたことでしょう。


従兄にあたる人気画家マウフェほどにはなれぬにしても、この仕事で何とか暮してゆけるようになれれば一安心というわけです。

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         <pubDate>Tue, 12 Oct 2010 14:51:44 +0900</pubDate>
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         <title>ゴッホの生きた人生　7</title>
         <description>ゴッホという人物は、何をやるにしても、およそ限度というものを知りません。


伝道師という仕事を極限まで生きようとしたように、今度は、この画家という新しい仕事を極限まで生きようとします。


ブリュッセルで半年ほど過した彼は、翌年の4月、エッテンの父のもとに戻ります。


彼は「デッサンは辛い困難なたたかいだ」と言い、ガヴァルニの「1本も線を引かぬ日は1日としてなく」ということばを思い起しながら続けられる彼の生活においては、生きることと描くことがほとんど同義です。


そしてこの緊迫したたたかいを通じて、彼は、おのれの絵画の本質的スタイルをとらえ始めたようです。


エッテンからテオに書き送った手紙のなかの、


「自然はつねにはじめは素描家に抵抗する。


しかし、それを真にまじめに受けとめようと努力するものは脱線することはないのだ。


逆に、この抵抗は克服の戦いのよき刺激となるのだ。


根底においては、自然とまじめな素描家とは一致する。


だが、たしかに自然は『掴みにくい』。それでも自然をとらえなければならぬのだ。


しかも、しっかりした手で。


ある期間、自然と取組み合いの格闘をしていると、やがて自然もおとなしくなってくるものだ」。

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         <pubDate>Sat, 02 Oct 2010 14:48:55 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>ゴッホの生きた人生　6</title>
         <description>ここでは、画家の眼が、宗教的渇望の強い支配力のもとにつばぎとめられながらも、そのなかにしみ入り、ある緊迫した結びつきを示しているようです。


しかし、伝道師としての挫折が、この結びつきのあいだに、不安な穴をあけました。


こうして、画家という仕事が、圧倒的に立ち現れるのです。


1880年の3月、ゴッホは、わずか10フランしか持たずに、画家ジュール・ブルトンのいるパ・ド・カレー県のクーリエールに徒歩旅行をします。


彼は、この旅行について、「結局のところ、いい加減に無意識にやってしまったことで、なぜ行ったのかははっきり説明出来ないのだ」と言い、「だが、ぼくは自分に言ってきかせたのだね、おまえはクーリエールを見るべきだ、と」と言っているにすぎないのですが、これが、彼にとっての或る転機のあらわれだったことは確かでしょう。


10フランがなくなると、彼は、野天で野宿し、あるいは、置き去りにしてあった荷馬車で夜を過しましたが、のちにテオにあてて、こんなふうに語るのです。


「ところが、こうしたひどいみじめさのさなかでのことだったのだ、ぼくが自分の精力がよみがえってくるのを感じて、自分に向ってこんなふうに言いきかせたのは。


どんなことがあろうと、ぼくはまた立ちあがろう、大きな落胆のなかで捨ててしまった鉛筆をもう1度取りあげよう。


またデッサンを始めよう、と。


それ以来、ぼくの眼の前のいっさいが変ってしまった。


そして、今ぼくは歩き始めているのだ。


ぼくの鉛筆はいくらか御しやすくなり、さらに1日1日とよくなってゆくようだ」。


27歳の彼は、また最初から、バルグの『木炭画の練習』や『デッサン教本』を学ぶことから始めなければなりません。


しかし、飛び立つことの出来たこの鳥の手紙は、希望とよろこびにあふれています。


10月、彼は、ついにボリナージュを去り、ブリュッセルにおもむくのです。

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         <pubDate>Sun, 12 Sep 2010 14:43:55 +0900</pubDate>
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         <title>ゴッホの生きた人生　5</title>
         <description>「ここの土地は実に絵のようで、実に独特だ。


言わば、そこでは、すべてが語っているのだ。


すべてが特色にみちているのだ。


クリスマス前の陰轡な日が続く近頃は雪が降り積っている。


そして、すべてのものが、たとえば『百姓』ブリューゲルの中世紀の絵を、あるいはまた、赤と緑、黒と白の独特の効果を実に見事に表現するわざを心得ていた多くの人たちの絵を思い出させる。


ぼくはここへ来て何を見てもテイス・マリスやアルブレヒト・デューラーの作品を思い起すのだ。


ここには茨の茂みが異様な形の根を張った、ふしくれだった古木などが蔽いかぶさった中くぼみの道があるが、デューラーのエッチング『騎士と死』の道にまったくそっくりだ。


ことに先日、たそがれどきに、自い雪の上を家路につく坑夫たちの姿を見たが、それは、魅せられるような眺めだった。


この人たちは、まったくまっ黒だ。


彼らが暗い炭坑から陽のあたる明るみへ出て来たときは、まったく煙突掃除夫そっくりだ。


彼らの家は実に小さくて、小屋と呼んだ方がいい。


それらはあるいは中くぼみの道にそって、あるいは森の中に、あるいは丘の表面に点々と散らばっている。


あちらこちらに苔むした屋根が見える。


夕方になると、小さなガラス窓ごしになつかしい灯がともるのが見える。


ぼくらのブラバントには、輪伐林や樫の萌芽林があり、オランダには柳の刈込樹があるように、ここには庭や畠や耕地の周囲をかこむ黒い茨の生垣がある。


いま、雪が積もっているので、ちょうど白い紙の上の文字のような効果を出し、まるで福音書のページのようだ」。


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         <pubDate>Thu, 02 Sep 2010 14:38:10 +0900</pubDate>
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         <title>ゴッホの生きた人生　4</title>
         <description>ゴッホのいた、このボリナージュ炭坑は、今ではまったく廃坑になっています。


私は、オランダからの帰途、ここを訪れ、まだゴッホのにおいがしみついてい乃ような、荒れ果てた土地を歩きまわりました。


芽を出した木木の向うに、黒ずんだボタ山が続き、炭坑住宅は、もはや誰も住んではいないのか、まったく人かげが見えません。


巨大な煙突がそびえた精錬所は、森閑としずまりかえり、草のなかを赤錆びたレールがのび、人間らしい気配は、灰色のコンクリートの塀にはられた破れかかったコカ・コーラの広告だけでした。


私は、シャベルをかついだ坑夫や、石炭袋をかついだ女たちを描いたゴッホのデッサンを思い起しました。


そして、それらのイメージと重なるように、ゴッホの、「ああ、いつまで続くのか」という叫びが響くのをきいたのです。


ゴッホにとって、画家という仕事は、世間からも宗教からも締め出された人間の、この「ああ、いつまで続くのか」という叫びそのものから生れ出たと言っていいでしょう。


もちろん、描きたいという欲求は、このときはじめて彼のうちに生れ出たわけではありません。


それは、少年期以来、つねに彼につきまとっていたものです。


彼は、アムステルダム時代の或る手紙のなかで、


「書きながら、ぼくはときどき、このあいだ君に送ったような素描を本能的に描いてしまう」と語っていますが、このような傾向は、それ以前のどの時期においても見られることなのです。


ボリナージュの人びとは、この伝道師が、坑道のなかや外でしょっちゅうスケッチをしていたのを記憶していますが、この欲求はスケッチというかたちで現われるばかりではありません。


ボリナージュに来て間もない頃書いた次の手紙をつらぬいているのは、すでに画家の眼なのです。

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         <pubDate>Thu, 12 Aug 2010 14:35:55 +0900</pubDate>
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         <title>ゴッホの生きた人生　3</title>
         <description>「ぼくはぼくの無節操のなかで誠実であろうとする人間なのだ。


変わったことは変わったが、ぼくはやっぱりぼくなのだ。


ぼくの苦悩はただひとつ・・・どうしたら自分が何か善いことができる人間になれるか。


何らかの目的に貢献する人に、何かの役に立つ人間になれないものだろうか。


どうしたら一定の問題をもっと長い間、深く極めることができるようになるか・・・このことだよ。


絶えずぼくを苦しめているのは。


それに、ぼくは自分は貧窮の虜になり、どんな仕事からも締め出され、必要なものもとうてい手に入らない気がしてならぬのだ。


これでは憂鬱にならざるを得ないではないか。


こうなると、友情と、強い誠実な愛情のあるべきところに空虚があるのを感ずる。


道徳的エネルギーをさえ蝕むような恐ろしい落胆を覚える。


運命は愛情の本能も阻止する力を持っているように見えてきて、上げ潮のように嫌悪の情がこみあげて来る。


そして叫び声をあげる、『ああ、いつまで続くのか』と」。

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         <pubDate>Mon, 02 Aug 2010 14:32:13 +0900</pubDate>
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         <title>ゴッホの生きた人生　2</title>
         <description>ゴッホのこの生活ぶりについて、母親は


「フィンセントの手紙にはたくさんの興味深いことが含まれていますが、これらの手紙はあの子がどんなに度外れなことをしているとしても、やはりあの子は貧しい人たちに暖かい関心を示しているのだということをはっきり証明しています。


このことはきっと神様の眼にとまらないはずはないでしょう」と語っています。


しかし、伝道委員会の眼には、彼のふるまいは、あまりにも常軌を逸した、伝道師としての体面をけがすものと見えたようです。


6ヵ月の期限が終ったとき、委員会は、彼の再任を拒否するのです。


彼は、メヘレンからブリュッセルに移っていたピーテルセン牧師の世話で、キュエムのフランク牧師を紹介され、自費でなおボリナージュにとどまることとなりますが、この再任拒否は、彼のなかに閉じようのない傷口を開いたにちがいないでしょう。


伝道師としても、彼は世間一般の道から決定的にはじき出されたのです。


それに、生活の問題があります。


自費でとどまるにしても、彼には収入をうるあてがなく、またもや父や弟に頼るほかはありませんが、頼りにしていた弟までが、いつまでも「年金生活者」のような暮らしを続けるのはやめてほしい、というのです。


翌年の8月、彼がキュエムからテオにあてた手紙は、人生からも宗教からも締め出された人間の、苦痛にあふれた叫びにほかなりません。

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         <pubDate>Sat, 10 Jul 2010 14:28:55 +0900</pubDate>
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         <title>ゴッホの生きた人生</title>
         <description>ゴッホはボリナージュで、伝道師として献身的に働きます。


彼に必要なのは、貧しい坑夫たちと同じ生活をすることなのです。


彼は、石けんも使いませんでした。


下宿の部屋さえぜいたくすぎると考え、何ひとつ家具のない小屋で、炉のすみで眠りました。


昼は、坑夫たちの家を訪れ、あるいは坑夫たちとともに坑道の底まで降りてゆき、夜は、「毎晩100ページ」本を読みました。


子供のための学校を開いて、神はうやまうべきものであることを教えました。


4月16日に、近くのフラムリという町にあるアグラップ炭坑に爆発が起ったときは、ありったけの下着を破り裂いてほうたいを作り、油を買い、負傷者たちの看護に熱中し、医者も見はなした重傷者を自分の小屋に引きとって、ついにその命をとりとめさせました。


彼のいささか気ちがいじみたこのような行動に忠告した下宿の女主人に、彼は


「善きサマリア人はこれ以上のことをしたではないですか。


聖書を読んで感嘆するようなことをなぜ生活のなかで適用してはいけないのです」


・・・と答えたということですが、このことばは、彼の行動をつらぬくものを端的に示しています。

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         <pubDate>Sun, 04 Jul 2010 14:25:15 +0900</pubDate>
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